分身ロボットカフェの感想&過去と今の自分の変化

 

来年を迎えるまでもう1週間を切りました。

2019年は、本当に濃くて、いろいろな感情が溢れて、大忙しな年でした。

少し長くなりますが、振り返ってみます。(記憶が曖昧なところもあり、○月も定かではありません。すみません)

1月、2月は呼吸器専門の病院に入院していました。検査入院で12月初めから入っていたのですが

検査の結果が悪く、手術を勧められて、その上に「大学にまた通う」という夢もそこで打ち砕かれてしまい

私が3年前に車椅子になったのは、手術の後遺症からというのもあり
手術は拒否、絶対に考えられない

「でも、このままだと肺炎にでもなれば、あなたは危険です。致命的です。その場合○○病院で人工心肺をつけて…」

狭い部屋で、でも遠いところから先生の声が聞こえてるような感じで
私は一気に、ドン底へ落とされたような気分でした。

「生きるていることが辛い」

3年前に障害をおってから、なんだかんだで乗り越えてきましたが
私にはもう乗り越えられない壁があると感じました。

次、笑える日が来るとすれば
それは今の人生じゃなくて、来世だ。

早くこの人生を終わらせてしまいたい。

私は食べることをやめました。
より"死"に近づきたくて。

3月、無理やりお家に帰りました。ヘルパーも看護師さんも呼ばずに、1人で過ごしたいと言って。

1日のほとんどをベッド上で過ごし、ぼーっとしていました。

それから1週間半が経って
いよいよ呼吸が苦しくなっていきました。

まばたきをすることさえ、苦しく感じ、とても苦痛でした。

それから何時間経っても、死ねない…
死ぬまでは簡単じゃありませんでした。

あまりに苦しいので、耐えられなくなり緊急コールをしました。

そして、病院へ搬送されます。

私が2年もの間、過ごしたリハビリ病院を指定しました。

診察室へ入ると、先生にすごく怒られました。
「あなた、どうしたいわけ?」
今まで見たことないくらいに、怖かった。けどその中にちゃんと愛を感じました。

そこで、一生分の涙を流し病棟へ移動。

そこから2週間してすぐに、精神科のある病院へ転院

ユニークな男の先生と出会いました。

「すべてが、嫌になったんです」
「生きている意味が分からないんです」

たくさんのお話をしました。先生は、私が話している間は俯きながら相槌を打っていて、でも最後には笑って

「生きててよかった」

と言ってくれました。

それから鼻から管を入れて、直接胃に栄養を流す治療をしました。
体重を○○キロまで戻そう、と目標をつくりました。

先生は翌日も、翌々日も
休み以外は毎日来てくれて
先生から話すことが多くて、私はただ黙って聞いていました。

それでもある日、私が初めて自分から話題を持ち込んで、お話しした内容にすごく驚かれたことがあります。

それは
「先生、OriHimeって知ってる?遠隔操作で動くロボットなんだけど
カフェでカフェ店員もできるし、イベントで説明員もできるんだって。
ベッド上からでも、できる。こんな私でも、出来るかもしれないんだ」

まだ呼吸は安定していなかったので、途切れ途切れで
一生懸命にお話ししました

「実は私、OriHimeパイロットに応募したの。面接も受けたんだ。受かるといいな」

私は本当に、ドン底にいたのか?というくらい
自分の行動に、自分でびっくりしました。

2月の下旬、精神科の病院にいたときに(この時とはちがう病棟でした)OriHimeをネットで知り、パイロット募集もしていて
ずっと死ぬことばかり考えていた私が、未来を見据えることができた瞬間でした。

必死に、応募フォームを記入して...
志望動機も、ほんとうは「生きるチャンスをください!」って書きたいくらい(もちろん書きませんでしたが)
重くならないように、でも、気持ちが伝わるように、
たくさん推敲しながら3時間かけて書きました。

一次審査が通り、二次審査の面接へ。

しかし体調が一気に崩れたこととも重なり、突然勇気が出なくなって、
やめようかどうしようか、すごく悩みました。

パイロットになっても、死にたいっていう気持ちでやってたら、いけないんじゃないか?他の人に迷惑じゃないか?

何回か日にちを変更して、気持ちが落ち着くまで
体調とも相談しながら、考えました。

私がパイロットに選ばれたときのことを想像しました。
おじいちゃんが喜ぶ、おばあちゃんが喜ぶ、両親も喜ぶし、兄弟もきっと喜んでくれる

今までお世話になった方に、心から感謝を伝えられる。

「自分のためじゃなくて、周りのために受けるんだ」

そこに落ち着いて、
なんとか面接日を迎えました。

そして貰った、採用通知。4月。
嬉しくて、飛び跳ねたいくらいだけど、寝たきりだから、飛べないなぁ(笑) なんて思って

スクショをして、家族に送信。

頑張るよ!って伝えました。

その当時の症状はというと、食べたくない→食べられないに変わってしまい、
食べ物を受け付けられる身体じゃなくなっていました。

薬もあらゆるものを試して、
でも全然ダメで、

パイロットに選ばれても、なんとなく、ただ生きているだけでした。

その病院にいられる期間は決まっていて
症状は変わらないままだけど、リハビリ病院へ戻ることになりました。

それから、歩行訓練が始まります。

4ヶ月?はずっとベッドにいたので、最初は血圧が安定せずにすぐふらついてしまったり
大変でしたが、意外と2ヶ月後には歩行器や壁をつたって歩けるようになりました。

3年前から、長くは歩けないので外に出る際は電動車椅子で、変わらないですが。

なんとなく過ごして、なんとなく毎日を送って、
精神面では時には落ち込むこともありましたが

なんとなく、退院を迎えました笑

お家に帰った後もしばらく、胃へ直接栄養を注入する治療はやっていました。

けれど、パイロットになったから
頑張るよ!ってみんなに伝えたから

元気にならなきゃ、と思って
退院してすぐお茶の水へWheelogの街歩きイベントに参加したりしました。

どんどん外へ出て行かないと。と思って、体調の許す限り
頑張って出て行きました。

そうしていくうちに、いつのまにか
鼻に管を入れなくても済むくらいに回復しました。

病院で、あれだけ、薬を試しても
カウンセリングとかやっても、食べられなかったごはん。

今思うと、これはすごいことです。

1番、心身ともに回復したと思えたのは10月の #分身ロボットカフェ を終えた頃でした。

ああ、そうか
私って、よく笑うし、よく喋るし、人懐っこいキャラクターだったんだ。

カフェを通して、本当のじぶんが、
殻に閉じこもっていたものが、すべて出てきたような感じでした。

私はそんな自分が大好きでした。

また夢も、語れるようになりました。

そして1日の最後には
「明日はどんなことがあるかな?」と考えられるようになっていました。

過去ばっかり振り返って、落ち込んでいた私が
未来を見据えるようになったんです。

私がずっと思い悩んでいた「生きている意味」も、答えがわかりました。

私は「人のために」生きているんだと。

OriHimeには、すごく感謝しています。

カフェが終わったあと、何回も、Facebookに感想を書きこもうとしたのですが
言葉にできない感動があって、どう伝えたらいいか分からず、ここまできてしまいました。

また10月のカフェ前から、1ヶ月ほど
NHKさんに密着取材をしていただきました。

カットされている可能性もありますが笑
カメラの前では、そのままをさらけ出しました。

また放送日は告知させていただきます。

では、少し早いですが
よいお年を!!

 

f:id:imoimo_memo:20191226184455j:image