娘の分も、懸命に生きて
私は幼少期、病弱で入退院を繰り返してきました。
かかっていたのは国立成育医療研究センター。
世田谷にある大きな小児専門病院で、たくさんの友達と出逢いました。
中にはやはり、別れもありました。
ガンで・・
心臓の病気で・・
肺の病気で・・
当時は今より身近ではなく、よくわからなかった "死"。
死ぬって何?どういうこと?どうなるの?
魂はどこへ行ってしまうんだろう?
死についてあれこれ考えなかなか消化できない思いがありました。
また、見た目はみんな元気で 次の日には会えなくなるなんて あり得ないと思っていました。
だからこそ、いま この瞬間を大切に。
感謝の気持ちを忘れずに。
小さいながら、天国へ旅立った友達からのメッセージをちゃんと理解していたような気がします。
旅立った友達の中に心臓病のTちゃん がいました。
Tちゃんはファロー四徴症という大変重い心臓病を患っていました。
唇の色は常に紫色で チアノーゼが出ていて、当時の私には理解できなかったことが 今なら 理解できます。
とても辛かったんだね。
それでもTちゃんはいつでも明るく元気な姿を家族に見せていたと言います。
Tちゃんが天国へ旅立ったとき、私は中学3年生で岡山にいて お別れができませんでした。
もう会えないのか…当時は言葉では言い表すことのできない悲しみにうんと包まれて、涙が溢れて出てきました。
それが私にとっての初めての 友人の死だったのです。
心臓外科だった私の祖父は Tちゃんの病気について詳しく説明してくれました。
あんなにキラキラ笑顔だったTちゃん。そんなに大変な病気を患っていたんだ。中3で大人になっていた私には容易に理解ができました。
訃報を受けてしばらくして、Tちゃん宛に感謝の気持ちを手紙に認めました。
ありがとう。命の大切さを教えてくれて。
優しさを、本当にありがとう。
そんなような内容だったと思います。
少し経って Tちゃんのお母様から Tちゃんの大好きだった嵐の写真と Tちゃんの満面の笑顔が映った写真、お母様のお手紙も送られてきました。
お母様のお手紙には Tちゃんの逞しさが 綴られていて、大変な状況でも ものともせず真剣に病気と闘ってきた Tちゃんの強さに改めて感服しました。
また、今でも忘れられない一文があります。
それは
「娘の分も、懸命に生きてください」
ハッとしました。
自分はいま懸命に生きているのか?
正直いまも、死んじゃいたい気持ちが出てくることがあります。なにもかも、やめにして、終わりにしてしまいたい!と。
自暴自棄になることがあります。
そんな時 Tちゃんの逞しい姿、お母様の言葉が浮かびます。
ありがとう!Tちゃん!
絶対にこれからも忘れません。
私は懸命に生きます。( ˊᵕˋ* )