入院78日目 拒食との闘い

寝たきりになって78日目。

 

入院前、私は死を選択しかけた。

 

今日はそのことについて赤裸々にお話ししたいと思います。

 

遡ること12月末、某病院にて呼吸器の検査入院をし、検査結果が告げられた。

ここで 肺全摘後様症候群と診断される。

 

「もし肺炎にかかればあなたの肺は強くないので …このままでは死んでしまいます」

医師からハッキリとそう言われ、愕然とする。

 

さらに

「もうこれ以上、リハビリをしても肺機能は上がらないでしょう」

「大学進学は…無理だと思います」

 

ここまで頑張ってきたのに…どうして?このままずっと電動車いすなのかな…。大学にも行けないの?

 

私は冷静にはなれず、その日からひたすら絶望感を味わった。

同時期、両親の離婚裁判中ということもあり 少しでも気を緩めれば 心はポックリと逝ってしまいそうだった。

 

検査入院を経て2月下旬、退院。

 

「ヘルパーも、訪看さんも、いらない。誰にも頼らないで、ひとりで生活がしたいんだ」

 

私は1人で生活を、出来もしないのに、 出来るはずがないのに、独居しているマンションへ帰ったのだった。

 

周りの友達にも強がってしまった。そして家族には嘘もついた。

 

「ヘルパーにきてもらって、3食きちんと食べて楽しく生活してます」と。

 

家に帰った後、ひとりの時間。いろいろなことが頭に浮かんだ。

 

私がいなければ…生まれてこなければ…

 

死ぬのは簡単なことではない。

しかし「もう、こんな身体は嫌だ!」と心は強く叫んでいた。

涙は出ない。そんな力はない。

 

悲しい、腹立たしい、辛い。

負の感情がワッと溢れて出てくる。

 

12月末から、食欲不振ではあったが 家に帰ってからは1日1食がやっとだった。0食の時もあった。

当時の私は確実に死に向かっていた。

 

そして、日に日に弱っていった。

 

ある晩、いよいよ呼吸が苦しくなると、急に怖くなった。うまく、吸えない。動悸がする。

すかさず携帯を手に取り 震える声で訪看にSOSを出した。

「苦しいです、助けてください」

 

翌日、緊急で病院へ。もう私の力は尽き、寝返りも厳しく 歩くこともできず ヘルパーさんたちに担いでいただき ストレッチャーに乗り、そのまま介護タクシーに乗った。

私が1番信頼している病院へ向かった。

着いて約1時間半ほどして リハビリ入院で2年という長い間、診てくれていた主治医の先生と診察室で、久しぶりに対面した。

 

先生は ストレッチャーに横たわる私に 剣幕にこういった。

「どうしたいわけ?」「あなたね、ちゃんとしなさいよ!」

とても腹を立てた様子で、でも少し心配そうな顔も見せてくれた。

 

私は嗚咽しながら

「全てが嫌になった。自暴自棄になってしまった」と言った。

そして、そのまま 入院。

大粒の涙を流しながら、病棟へ運ばれた。

 

今までも 生きていて辛いことはたくさんあった。

だけれども この時はもう、限界な気がしていた。

 

しかし こうして 叱ってくれる人がいるとは とても幸せなこと…

 

今は、そう思える。

 

しばらくして その病院からは転院し、いまは違う病院で精神科の治療を受けている。

そして私はいま" 拒食 "という症状と闘っている。

 

"転換性障害"

 

心理的要因で身体になんらかの症状がでる障害らしい。いまはものが口に入っていかない、食べられないため、胃管をしている。

体重も3ヶ月で6キロほど落ちてしまっていた。

 

ここの主治医の先生は なんだかチャラチャラしている。だけど、たまに良いことも言う。

 

その中でも心に残ってる言葉は「まあ、生きてりゃいいよ」という言葉。

 

「死ななきゃいい。」

「一回死にかけたけど、生きててよかったね」

 

生きててよかった。

 

そうか。どうせ終わるなら いい人生だった、と言って幕を閉じたい。

 

自暴自棄に はちゃめちゃに 何もなかったことにするのは 違う。私は間違っていたんだ…

 

ここからが新たなスタート。

私は死ではなく、生きることを選択した。

 

今はちゃんと夢もできた。

それは 「いま生きていることに絶望している仲間たちに 生きていればこんなに楽しいことがある!とOrihimeを通して伝えること」だ。

 

まだ、足元はおぼつかないけれど 

 

着実に、一歩一歩を進もう。ゆっくりと。

 

もう少し、生きてみよう。

きっと生きていれば、楽しいことが待っているから。